2021/22年
メティエダール
コレクション
ショー

8人の著述家が語る
シャネルの
メティエダール
コレクション

シャネルは8人の著述家に、le19Mに集結したメティエダール アトリエの計り知れない価値と多様性への賛歌を依頼しました。作家のアンヌ ベレスト、リリア アセーヌ、ニナ ブラウイ、サロメ キネー、サラ シーシュ、作曲家でもあるクララ イゼ、ミュージシャンとしても活躍するアブダル マリック、そしてアーティストのMCソラーは、それぞれのアトリエを訪れ、メティエダールが放つ魔法と、職人たちが繋ぐ手仕事、独自の表現方法や歴史を辿っていきました。彼らの探訪によって誕生したのがこの8つのレターです。私小説のような語り、短編、詩、手紙、記憶の中の自由な連想。いずれのレターも、le19Mのお披露目にふさわしい、卓越したサヴォアフェールを讃えたものです。

アブダル
マリック

le19Mでの散策

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本質を維持しながら進化し、美の概念を称え、守り続け、要塞を彷彿とさせる、そんな共同空間が存在する。
19区のポルト ドーベル ヴィリエを訪れた時、私は漠然と詩を書くことを考えていたが、書くべき内容はまだ定まっていなかった。その瞬間、目の前に開放的な建築物が現れ、私の直観に囁いた。
すべての芸術は科学であり、すべての科学は互いに結び付ている。表現する言語は異なれど、ひとつの真実を伝えようとしている。

回転ドアが旋回し、ガラスの扉が滑らかに動き、一歩進むごとに、雰囲気が伝わってきた。エレベーターで上に向かえば、素晴らしいパノラマを楽しめそうだが、息つく間もなく、私はマサロで目眩く甘美なる体験をすることとなった。いずれのアトリエにも存在する木の香り、裁断されたレザー、現代的な機械装置、継承される技巧、伝統的工具。そして情熱の結び付き。熟達するために費やされた時間との融合。忍耐は、le19Mをあらゆる面から彩る美徳だ。どれほどの知識人であっても、ここに息づくサヴォアフェールに目を奪われ、敬意を払うだろう。さらに進むと、そこにはルマリエとロニオンのアトリエがある。羽根細工や花細工、プリーツの職人たちなど、あらゆる年代の職人たちが、金細工の職人のように緻密な作業をこなす様子を目の当たりにした私は、込み上げる思いとともに圧倒された。le19Mはクリエイティビティの祭典であり、まさに創意工夫の競技会。パリの空の下、細やかな熟練の技と太陽とが交わり、働く人々と彼らがこなす仕事の質と密接に結び付いている。ここでいう質とは、あらゆる物事の始まりと終わりであり、機械的な作業とはまったく対照的なもの。私に微笑みかけ、再び机に向かい作業を続ける彼らの延長線上には、工芸があり、芸術がある。工芸は人に影響を与えるが、その逆もまた然り。職人とは、まさに芸術家である!ギリシャ、ローマ時代の偉大な先人たちは芸術と工芸を区別せず、アルティフェクス(職人という意味)と呼び、このふたつの言葉を、卓越と奥深さの概念を持って結び付けていた。

そして、le19Mをただ去るのではなく、ここで得たものを持ち帰ってほしい。私たちは、伝統の継承と時代を開拓することをここに約束する。さらに、あらゆる時代の危機と、あらゆる無様さに対抗すべく、美を武器とすることを誓う。これこそが、働き手の多い街区の入り口に建てられたle19Mが発するメッセージなのだ。この呼びかけがいかに緊急性を帯び、いかに崇高なことか。ルディ リチョッティによって設計され、私が冒頭で要塞と呼んだこの建物はまるで、レースと鉄を称える讃美歌のようだ。あらゆる芸術を司る神アポロンを祭り、プラトンに「神は永遠に幾何学する」と言わしめたアポロン神殿のようでもあり、芸術における伝統の概念の真髄を学ぶアカデミアでもある。現代を生きる人々がさらなる美へと近づくことができるよう誘い導いていくために。本質を維持しながら進化し、美の概念を称え、守り続け、要塞を彷彿とさせる、そんな共同空間が存在する。
19区のポルト ドーベル ヴィリエを訪れた時、私は漠然と詩を書くことを考えていたが、書くべき内容はまだ定まっていなかった。その瞬間、目の前に開放的な建築物が現れ、私の直観に囁いた。
すべての芸術は科学であり、すべての科学は互いに結び付ている。表現する言語は異なれど、ひとつの真実を伝えようとしている。

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アンヌ べレスト

専門用語の由来と命名

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メゾンダールのアトリエを訪れると、活気に満ちた力強い言葉が飛び交い、自然とその世界に引き込まれる。職人たちの言葉の強弱や長短が生み出すこの心地よさに、自ずと魅せられていく。聞きなれない単語や、日常では忘れられてしまった表現が今も健在するこのアトリエでは、香りが記憶を突然呼び覚ますかのように、力強い感情が魂に働きかけ、詩情あふれる別世界へと誘う。職人の世界の専門用語は、卓越した技術や素晴らしい巧手、そして妙技を雄弁に物語る語彙であり、これほど魅力的なものはない。

職人の所作が代々受け継がれるアトリエで、比喩に満ちた精密な描写が飛び交う言葉のアートが、職人の作業にリズムと調和を促す。
私たちは日常的に使わなくなった表現や単語を、心の内なる辞書から少しずつ消し去っている。だからこそ、忘却の道を辿っている言葉を耳にした時、私の心は揺り動かされる。
このような言葉を耳にすると、私は嬉しくなる。なぜなら言葉は人の記憶そのものだから。

1936年にパリで創業された美しい帽子のアトリエ、メゾン ミッシェルに訪れた日、お針子や帽子の職人たちは、聖カトリーヌ祭の準備に大忙しだった。この祭りは、中世の時代から伝わるフランスの伝統行事だ。毎年11月25日、この日の主役は25歳以上の独身女性である。彼女たちはカトリネットと呼ばれ、希望と家庭の象徴であるグリーンとイエローの豪華な帽子を被って街を練り歩く。この風習はクチュールの世界に現在もまだ根付いており、今年、シャネルでは80名の「カトリネット」と「二コラ」(25歳以上の独身男性を意味する)が、それぞれの個性と頭のサイズに合わせて作られた帽子を被ってパリの街を闊歩した。

そのうちの何人かが身に着けたのは、広いつばによって太陽から肌を守ることができる、キャペリンと呼ばれるストロー素材の帽子。このキャペリンの始まりは、夏には薄手の生地、冬にはウールで作られ、女性の頭と肩を覆っていた頭巾とされている。

ヴァイスマンと呼ばれるミシンは、一本のストローを帽子の形になるように渦巻状に縫うことでキャペリンを作り出せる、世界でも希少な機能を備えている。最後の一台が廃棄される寸前に発見されなければ、永遠に幻となるところであった。現在、このミシンを使いこなすことができるのは、たった2人。ここで彼女たちを紹介しよう。ブランシュとノエミという、とても可愛らしい名前の女性たちだ。

キャペリンには、グログランのリボンが付いているものだ。グログランは、縁のない平織のシルク リボンで、帽子の美しいラインを強調するため、またはスカートのベルト部分のアクセントに使われている。グログラン(grosgrain)という呼び名には、心を捉えて離さない魅力がある。まず、gとrという子音の組み合わせの繰り返しは、太った(=gros)猫が嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らしている音を連想させる。それだけではなく、フランス語でgrainは、植物と天候という自然界のふたつの分野に属する言葉でもある。すなわち、グラン(grain)は麦粒やコーヒー豆だけでなく、突風に運ばれた雨粒、大粒の雨を指すのにも使われている。大粒の雨は、「太い(gros)粒(grain)のように大きい」のだ。

伝説的な女優サラ ベルナールが舞台で演じて知れ渡ったヒロインの名前に由来する、縁が広いフェルト地の帽子、フェドーラを被ったカトリネットもいたに違いない。

こうした帽子はさまざまな由来から名付けられ、シュールで詩的なオーラを放っている。1920年代のパリで男装を楽しんだ、ギャルソンならぬ「ギャルソンヌ」と呼ばれたアンドロジナスな女性たちから人気を博した縁なし帽、クローシュ(ベル)ハットもその一例だ。

チャーリー チャップリンでお馴染みの丸みを帯びた山高帽のブールや、メロン(ボーラー)ハットにも同じことがいえる。ヴェールで飾られた小ぶりなヘッドドレスやベレー帽等の総称であるビビは、いかにも粋でお洒落な雰囲気が伝わるオノマトペである。また楕円形で、つばもクラウンも平らな帽子、カノティエ(ボーター)も忘れてはならない。

もしあなたが帽子を被らずに聖カトリーヌ祭に繰り出したなら、「少なくとも髪だけは纏って!」と指摘されることになる。現代では非常に不可思議に感じるこのイディオムの背景には、第二次大戦後になるまで、帽子を被らずに外出することは、パンツを履かず下着だけで外出することに匹敵するほどであった、という歴史的事実がある。その後、女性は自らを解放し、性的なシンボルであり、自由とモダニティーの証として髪を堂々とさらすようになった。これを嘆いたのは帽子業界であった。そのほとんどが廃業に追い込まれる中、例外として現存するのが1936年にパリで創業し、1997年にシャネルのメティエダール アトリエに加わったメゾン ミッシェルである。

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クララ イゼ

シャネル、メティエダール

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時は正午。私はそびえ立つle19Mの建物の中に入る。
何本もの長く白いラインとガラス張りのファサードが空に向かって伸びている。
廊下をいくつか通り抜け、建物と建物を繋ぐ通路を進む。はじめに訪れるのは、メゾン ゴッサンス。伝統とサヴォアフェールを取りまとめるパトリック ゴッサンスが私を出迎える。
窓や機械、机に向かう人々が一列に並び、モダニティに溢れた部屋の光景に驚いていると、まず私の視線を捉えたのは宝石。次にクリスタルの一片に目を奪われた。引き出しを開けると、光を放つ小石のようにまばゆく輝いている。それはまるで、おとぎ話のように25,500m2のメタリックな森に迷い込んだかのようだ。
パトリック ゴッサンスは温かいコーヒーを片手に、海底に沈むブロンズの珊瑚やブレスレットに囲まれながら、彼の父親が1950年に設立したアトリエについて語る。その時代とコスチューム ジュエリーの世界に多大な影響を及ぼしたこと、早い時期からマドモアゼル シャネルの個人的なコレクションのためにさまざまな作品を制作するようになったこと、そしてマドモアゼルとともに、これまで常識とされていたあらゆる境界線を曖昧にし、ファンタジーなものから、ビザンチンやルネサンス期の芸術を追求するようになったことなどを。
その当時、パトリック ゴッサンスは10歳。朝になると、父親に連れられてルーヴル美術館へ傑作を観に訪れた。私は、鋳鉄の扉の前に立つ父子を想像する。ふたりの間でどのような秘密が囁かれたのだろう。15世紀のイタリア ルネサンス絵画がどのように彼らの目に映り、私たちの頭上で揺れるシャンデリアの曲線にどのような影響を与え、新たな息吹が吹き込まれたのだろう。30代の男性がブロンズの溶接をするために点火する姿を目にした。私は引き続きle19Mの広大な建物の中で、オブジェの制作過程を理解するため、オフィスからアトリエへと案内される。
しかし、すべて私の頭をすり抜けるばかりだ。細部まで理解しようといくら精神を集中させても、真面目な女子学生かのように私の小さな赤いノートに技法や素材の名前を書き留めようとしても、何年も昔に引き戻されたような感覚に陥り、オブジェの重みとパワーがひしひしと伝わってくるようになる。すると、オブジェから魔法が放たれているのだと感じる。魔法の根源は、これらオブジェが潜り抜けてきた時間に違いない。さまざまな視線や世界、そして時代が、こうしたオブジェが飾る首筋や手首へと集結する。私は、アマゾンの先住民族コギが、先コロンブス期の装飾品の返還をコロンビア政府に求めたことを思い出した。先祖が作った装飾品がかつて持っていた治癒力を回復させるために、アマゾン森林の地中に埋めたい、と望んでいるのだ。
私は、le19Mのアトリエに置かれている宝石が辿ってきた道に思いを馳せる。そして、深海に潜るトレジャーハンターになった自分を想像する。すると、海がゴッサンスのアトリエに押し寄せ、水中で輝く宝石が見え、遠くの方から聞こえてくる音はくぐもり、オフィスではプランクトンが泳ぎ回り、色とりどりの魚たちや塩で腐食した古代の建物、そして海に沈んだ宮殿で満たされる。海流に運ばれてシャンデリアがゆっくりと動くのが見える。私は微笑む。前の窓は海ではなく、空に面していることを思い出す。その瞬間すべてが消え去った。私の目に映るのは広く開いた海溝のみ。私の周囲でオブジェが踊っている。魔法を放ちながら、白昼夢へ回遊する。私はパトリック ゴッサンスと彼の父親のことを思い浮かべる。ウッドと大理石、ブロンズとプラチナゴールド、樹脂とピンククオーツ、といった異素材の組み合わせが目に入った。
ゴッサンスの声が聞こえる。海溝は消え去り、私はオフィスの椅子に座っていて、目の前のコーヒーはすっかり冷めていた。「ジュエリーに偽物も本物もありません。どのような思いを込めて制作するかが重要なのです」。私は、自分たちを人間たらしめるものについて思いを巡らせた。何が人の心を動かすのかということ。ゴッサンスのジュエリーのようにゴールドと樹脂が共存することと、私たちは少し似ているのかもしれない。矛盾と競争、この上ない脆さと不遜な美から成る、多種多様な世界によってつくり上げられているのが人間なのだから。

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クロード
MCソラー

5本の指からなるひとつの手

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パリ 19区、le19Mはそこにある
その外観がすでにこの建築物を人間らしくさせ、長い垂直のワイヤーは古のルテティアを彷彿とさせる
すべてが均衡のなかにある……アルファベットの……Mという文字に
そのひとつの庭が昔の知恵を守り受け継ぐ、きめ細やかな手仕事の旅へと私たちを誘う
時にあらゆるものが装飾され、時に私は記憶を失う
アーティストと職人が手仕事の芸術を永遠のものにする

私が目にしたのは羽根細工や花細工、刺繍と織り職人。宝飾職人、帽子職人、加工やプリーツの職人。グローブ職人、装飾の数々、織機の正確さ、アルコールランプ、糊、火、そして靴職人たち
古い時代の刃物、金細工職人の道具やアイコニックな作品など、19世紀から今に至るすべてがフランスで作られている
アクセサリーが不可欠な時代にこそ到達する
卓越の極み!
パリのポルト ドーベル ヴィリエに建つle19M。美意識高き者ですら茫然と立ち尽くす。私は黙ったまま、目を見開き、5本の指からなるひとつの手が創り出す美を見届ける
P.S.
今回le19Mを訪れた後に、私はモーリーン アンゴの「Nos Coutures(私たちのクチュール)」という歌の意味をようやく理解したように感じた
溶接が痕を残し
ステッチが傷を残す
縫ってすべてを消し去る
「これらの職人技がひとつになり、唯一無二の作品を形作る」

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リリア アセーヌ

シャネル、芸術の手紙

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立体的に造形された花冠の、シュルレアリストの詩。

立体刺繍で描いた無垢なカメリアの、匂いを持たない香りは
プルーストの記憶のように、愛の花の思い出を呼び覚ます。
カトレア。
サンザシ。
ボタン。
それぞれの花は、それぞれ異なった女性なのだ。
フランネルやレース、オーガンザに身を包み、それぞれが異なる輪郭を持っている。
茎から雄しべにいたるまで、装いは完璧なもの。
素材のパレットから自由な表現、独自の個性、唯一無二の存在が生まれる。
ひとつとして同じ花はないのだ。

自然主義のコレットなら、ボーター ハットや、バナナの繊維や麦わらを折り合わせたクロシェ ハットが木型で成型されているところに見入ったことだろう。
寸法に合わせて木の塊を削っていくと、木屑はまるで桃の皮のように剥がれ落ち、子を宿した女性のような、その表面の滑らかな丸みを優しく撫でる。
木型に姿を変えた木は、永遠に存在し続ける。
そして、その記憶を受け継ぐ者に、加護を与えるのだ。

バルザックであれば、シルクのアコーディオンにそっと触れる手に目を留めて、如実に描写したことだろう。
何世紀もの歳月を経た今も変わらず動き続ける、プリーツの機械を観察したはずだ。
この感覚の博物館にいる、少女の初々しい手を。
その手が触れた痕跡を。
20年、そして100年先へ、少女が譲り伝えていく器用な手先を。

オーストリッチの羽根は蝶に姿を変え、蝶はストローハットに舞い降りる。
深海に棲む雌ライオンのようなイソギンチャクは、水を必要とせずに、サテンのドレスの上で大輪を咲かせている。
矛盾した色彩と、詩的な驚き、ボリス ヴィアンの文章を想起させる。

木や生地、羽根、麦わらを操るメティエダールの職人たちが、自然に命を与えている。
彼らは自然の力によって、そして自然のために創作する。
そして、彼らが、自然にインスピレーションを与えているのだ。

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ニナ
ブラウイ


(アトリエ モンテックスにて)

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私は想いに宿る力を信じている。おまじないのごとく、想いには、愛する人や密かに好意を抱く相手の心に働きかける力がある。それは喜びと怒り、恐怖と歓喜、勝利と挫折といった感情が形成され、衝突し合う場所である。想いは止まることのないメリーゴーランド。自由に回転し、妨げるものもなく、変えることは誰にも出来ないであろう。想いは神聖なものだ。私は想いが放つその光がいかに祝福に満ちているか、またそこに潜む闇がもたらす荒廃も知っている。想いはある種の言語として発言より先に存在する、内なる神秘的な歌である。

子どもの頃、私は糸のような一本の線で想いを描いた。その線は紙の上で増えていく。私の想いは迷いなく交差していき、まだ開いたことのない扉の向こうにある、ひとつの王国を築き上げた。この絵を通して、私は無意識のうちに刺繍職人へと繋がる道を歩んでいた。子ども時代というのは、夢と大きな希望を抱いた未来を演じる小さな劇場のようなものだ。

長い間、私は沈黙に抱かれながら、船を操舵するように針と糸を操り仕事に専念してきた。長年の経験により、目を閉じたままでも自身が向かっている方向が分かる。裏側から針を進めることもできる。デザインを描く糸と私の想いの糸が一体となり、糸が金細工やタッセル、ビーズを生地に縫い付けるように、想いの糸は夢や疑念、問いかけを私の心に縫い付ける。緻密な手作業により、時に糸はクロシェ編みを作り、レザーやツイード、オーガンザをはじめ、滑らかな素材から粗いものまでも通り抜け、無機質で大小さまざまなモチーフとなり、そこに命を吹き込む。私は人生の法則を刺繍の法則にも当てはめている ― それは忍耐と、忍耐への愛だ。過ぎ去った時を元に戻すことが出来なくとも、時は積み重なり、強まり、新しいものを生み出す、時はまるで愛に溢れた建築家のようであり、私の味方なのだ。

刺繍をすることにより、私は心のほつれを繕い合わせ、魂の動揺を鎮めながら目に見えない物語を綴る。小説家がインクと言葉を使うように、私は針と糸を使って。

私は毎日、完璧な調和をもたらすバランスに到達するまで、さまざまな想いを整理しながら、自分の想いを刺繍に込めていく。小説家が毎日、ひと文字、ひと文字、物語を紡いでいくように、私はひと針、ひと針、自分の心のゆらぎや鼓動を繊細なデザインに込めながら刺繍していく。私の手と心はまるで双子のように一体となり、誰にも気づかれることなく、刺繍は私の心の赴くままに仕上がっていく。

私の体が作業台から離れることはない。刺繍糸は、綱渡りの綱のように、私が道に迷い、傷つき、虚空や深淵に落ちるのを防ぐように私を導いている。刺繍は、自分で認識も感知もできず、皮膚の下で赤く張りつめて燃えている肉のように、折り目の間に存在するものをなだめる。何度も修復しながら。彫刻家のルイーズ ブルジョワも、裁縫師の母親が作業する姿に重ね合わせて、絹のような糸を紡ぐ蜘蛛の彫刻を制作した。この作品の展示は現在、ヨーロッパからアメリカにまで広がる。

そう、私は想いが持つ力、そして想いが引き寄せる大きな可能性を信じている。もし私がやすらぎを心に想い描けば平穏がもたらされ、心に愛を想い描いたらその愛は憎しみを打ち負かすであろう。歳月をかけて、この考え方は私のメカニズムとなり、穏やかに刺繍と向き合うことを覚えた。そして、思うようにいかない時でも、より良い世界を願いながら祈り、奇跡を望む祈りは必ず聞き届けられると信じることも学んだ。

ケープやジャケット、スカート、ブラウスのモチーフに見出すのは、人生の岐路や魅惑に満ちた森、恐れ知らずで感傷的だった若き日の涙を湛えていた海、学びや裏切りを経験する場所といった、自分の内なる風景。過去の経験が今の自分をつくり上げるゆえ、私は過去を否定しない。

私の内なる想いは、クリエイターが考案したデザインと溶け合い生地の上で具現化される。デザインを描く人、刺繍を眺める人、服を纏う人、そして刺繍する人である私。ひとつの世界、ひとつの地球に生きる男女、そして空という共通の屋根を分かち合う兄弟姉妹が互いを尊重し合い、温かみある偉業に向けて協力し合うことの喜びを湛えた私の想いの糸が、刺繍を作り上げていく。

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サロメ キネー

ココへの手紙

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I.
実はね、
帽子職人を見たのよ
彼女は作品の上にかがみ込んで
膝頭をウレタンのマットに載せて
両手の平で麦わらをぎゅっと押し付けていた
歳月が艶やかに磨きあげた菩提樹の木型の上に

靴職人も見たわ、
膝の上にレザーの靴底を置いて
彼女がハンマーでアッパーを叩く音が響いていた
作業台の下に隠れていたのは、湯気を立てたコーヒー

私は手先が器用ではない、
言葉が私の道具だから
裁縫師を意味する「プティ マン(小さな手)」という呼び名は
この女性職人たちにはそぐわない

女性たちがどこで働こうと、
聞こえてくる、雌ライオンたちの咆哮
鮮やかな花冠で飾り立て
王国のどこかに身を潜める
私たちはこうやって縄張りを見張っている

スカンデルベグは英雄であり
侍はツバキを愛でる
ココ、私はあなたと同じように仕事に身を投じて
哀傷と悲劇から気を紛らわせている


II.
リッツ パリでのあなたを想像する
豪華なホテルのバーカウンターから
立ち上がるまでに
どれほどのことが後押ししただろう?

フットレストのバーを踏み
足首で時を刻む
焦燥感に胸を締め付けられていたあなたにとって
暇な人間とは、詐称者か
あるいは自由の翼を持つ人か


噂では
あなたはバカンスが嫌いで
毎年8月1日になると
仕入れ先に
たくさんの注文をして困らせていたそうね

公の場にあなたはほとんど姿を現さない
不規則に脈を打つパリの街が
孤独を思い出させる
夜になると
あなたは、なめしたレザーをやさしく撫でていた
ポロの名手だったあの人を忘れるために

あなたにとって障害物を飛び越えることは
馬術の訓練ではない
あなたがデザインする靴は
歩くために創られた



III.
1957年
ジョージア オキーフは白いアイリスを描いた
あなたはバイカラー シューズを生み出し
スクエアのヒールで飾った

半世紀以上の時を経て
棚に並んだその靴が私をじっと見つめている
サテンのトゥと
しなやかなストラップと
誇り高い表情を湛えて

この靴を履いていた女性たちを思い浮かべる
そのまっすぐですらりとした脚
あなたが今も君臨し続けている街を
例えるかのようだ

無数のフォルムが並んだ公園で
私は迷子になる
それぞれの名前がストーリーを語りかける
その靴が踏みしめてきた石畳の下で

建物の窓の向こうには
セーヌ川が流れているそうだ
私にはオーベルヴィリエの門を通りすぎる
人魚たちの歌が聞こえる

ヴァンドーム広場でのあなたを想像する
道行く人々を眺めるあなたの淡い茶色の瞳
人は大抵のものは手に入れることができる
がむしゃらに働きさえすれば


そう、

私たちの手は決して小さくなんかない
その手が、意志を紡ぎ出す時
翼のついたサンダルや、スリングバック シューズを履いて
私たちは運命に向けて駆け出していく

人々は私たちを極端だと言う
つまり、極端なまでに自由だと言いたいのだろう
私たちは女性であり
私たちはアーティストなのだ

あなたはパンプスのデザインを通じて
マニフェストを掲げた
私は言葉を縫い合わせ
あなたの作品を文章という生地に刺繍する

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サラ シーシュ

人生を織る糸

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「メゾン ルサージュには、素晴らしい幾つかの玉手箱があります。本と同じように、そこには未来が詰まっているのです。その箱に存在するのは物語であり、あらゆる感覚や狂おしいまでの情熱、エネルギー、そして幻想。刺繍こそが、幻想です。スパンコールやビーズ、さらにはオイスターシェルやキャンディーの包み紙などを取り入れた素材が実在する、と思い込ませるのですから」と彼は私に語った。そして、ひとつの箱を開けながら「このサンプルを見てください。可愛らしい鳥の巣の柔らかさを立体的に再現したポケットです。鳥をテーマにしたジャケットの一部になります」と説明したかと思うと、瞬く間に別の箱を開けながら「これは、コロマンデル屏風からインスパイアされたイヴニング コートのディテールです。スパンコールとゴールド ビーズが余すことなく刺繍されています。印象派をテーマとした刺繍を取り入れるというアイディアが生かされています。まさに絵画といえます。スパンコールもペイントされているのが分かりますよね?このサンプルには、テキスタイル、セルロース、ガラスチューブといった約40種類もの素材が使われています。華やかに見えるのは当然ですね。こういった素材をふんだんに使っていた80年代、90年代ならではの贅沢なスタイルです。対照的に20年代は、コスチューム パールやチューブ、クリスタルといった素材を使っていましたが、極めてシンプルなスタイルに徹していました。では、次に参りましょう」

75,000ものサンプルがそれぞれの物語とともに眠っている、世界一の刺繍コレクションを修めたアーカイブを後にした私は、彼に従って迷路のような廊下を通り、張り出し窓に囲まれた大きな部屋に辿り着いた。15人ほどが、それぞれの作業台で仕事に専念している。ある作業台の前で私はふと足を止めた。布地に針を通した跡には、ビーズとスパンコールがまばゆい光を放ちながら花を描いている。刺繍職人はきびきびとした手の動きで、針を布の裏から表へと通し、刺繍糸を引っ張り、輪を作り、再び布に通している。「ここで仕事をするようになって何年になりますか?」と私が尋ねると、彼女は視線を刺繍から逸らすことなく、「そうですね……40年くらいです」と答えた。来る日も来る日も高い精度の同一作業を求められる中、長年に渡って献身的かつ情熱的にこの仕事に従事し、いつしか華奢な体は歳月とともに形を変え、体を屈めるのが習い性になったように私の目に映った。「背中や腕が痛くなること、ありませんか?」との問いに、彼女は相変わらず視線を刺繍に向けたまま、眼鏡の奥で目尻にしわを寄せた。一瞬、彼女の指は止まった。そして、穏やかな微笑みを浮かべながら「ええ、時々は痛みますよ」と答えると、また仕事に取り掛かった。私は再び、舞うように動く彼女の指が毎秒、毎分、胸が高鳴るようなデザインを描き出す様子を、まるで催眠術にかかったかのように見つめた。溢れんばかりのビーズとスパンコールの中から、昔とまったく変わらぬ幾つもの顔――40年前、私が子どもだった頃、私を抱きしめて頬を寄せた顔よりも遥かに若々しい顔――が浮かび上がり、私のまぶたの裏で揺れ動いた。刺繍糸の歩みは私を、子どもの頃は永遠に続くと思っていた時代へと引き戻した。完全には諦めることができなくても、二度と戻ってこないと認めざるを得ない時代だ。そして私は、すでに他界している彼女たち全員の姿を再び目にした。その昔、今となっては遥かすぎるくらい昔に、もはや存在しない家々とともに、明るい笑い声や情感あふれる涙で、私の子ども時代に忘れられぬ思い出を刻み付けた女性たちだ。父方の祖母が毎朝、悲しみを包み込むように優雅で物憂げに、コーラルレッドの花が描かれていたトーガドレスに袖を通し、ソファに横たわって私に本を読んでくれた、あの家。母が毎晩、心の傷を隠すために、金糸もしくはプルシアンブルーのシンプルながらも豪華なロング ドレスや、スパンコールが煌めく華やかなミニスカートにフェザーをモチーフとしてあしらったジャケットを合わせて、夢もしくは幻想を追いかけるように私を残して去ったあの家。母をエスコートする相手のことを何も知らない当時の私は、彼に激しく嫉妬したものだ。人生という生地はこのようにして織られ、その裏面には涙が織り込まれているのではないだろうか。刺繍針が軌道を決して外れてはならないように、子どもも、心の底では何かひとつのことに全身全霊を捧げている。私たちの中に潜んでいる過去の子どもは、大人になった今の自分を完全には許していない。たとえ、子ども時代の夢がすべて叶ったとしても。この時、このアトリエ一面を輝かしい光が照らした。すると、幸せに満ちた彼女たちの幻影が私の前を通り過ぎ、そして遠ざかった。時間を紡ぐ織機の上を行き交う針のように、日々、年々、人生を織りなす糸にしがみつく私たちも、ある時は前に投げ出されたかと思うと、後ろに引き戻され、光と闇、美しさとその残骸、愛とその亡霊の間を絶え間なく織り込まれていくのである。

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2021/22年
メティエダール
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