CHANEL NEWS

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CULTURE CHANEL EXHIBITION IN KOREA
THE SENSE OF PLACES

2014年8月30日から10月5日まで、ソウルの東大門デザインプラザ(DDP)にて、「The Sense of Places」と題されたCulture Chanel展が開催されます。会場となる東大門デザインプラザは建築家ザハ ハディドが設計したデザイン ミュージアムで、2014年3月に竣工しました。

今回もキュレーターを務めるのはジャン=ルイ フロマンです。彼はこれまでにも、2007年にモスクワのプーシキン美術館、2011年に上海の当代芸術館と北京の中国美術館、最近では2013年に広州オペラハウス、そしてパリのパレ ド トーキョーで開催された「Culture Chanel」を手掛け、大きな成果をあげています。

今回のCulture Chanel展は「The Sense of Places」をテーマに、マドモアゼル シャネルに多大なるインスピレーションを与えた数々の土地を通して、シャネルのクリエイティブな物語に迫ります。エキシビションを構成する10のエピソードがそれぞれ象徴するのは、マドモアゼル シャネルのライフストーリーにおいて重要な意味をもつ土地です。彼女が暮らし、愛したこれらの土地が、彼女の美的感覚を形成するのにどれほど強い影響を与えたのかを浮き彫りにしています。

オーバジーヌからドーヴィル、そしてパリからヴェネツィアへ。イメージや回想に彩られたマドモアゼル シャネルの世界観。写真や書籍、オブジェ、自筆原稿、アーカイブ、美術品など500点以上の作品が、ファッション、ジュエリー、ウォッチ、香水など、マドモアゼル シャネル自身のクリエイションとともに展示され、歴史に残る偉大な人物のライフストーリーという消えることのない足跡をいまに伝えます。さまざまな展示物が織りなす演出を通して、また20世紀を代表するクリエイターの現実と想像の世界に極めて独創的な方法で光をあてることにより、シャネルの真の精神が解き明かされています。

2014年8月30日から10月5日まで
Dongdaemun Design Plaza, Seoul

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GABRIELLE CHANEL AND BIARRITZ

マドモアゼル シャネルとバスク地方との関わりは、1915年までさかのぼります。アーサー カペルが兵役を離れていた当時、マドモアゼルは、彼に誘われて初めてビアリッツを訪れました。戦争激化の現実から遠く離れたこの海辺のリゾート地は、パリから避難してきた裕福な女性たちが平穏な日々を過ごしていた場所でもありました。上品で洗練されたこの雰囲気に心を奪われた若きガブリエル シャネルは、1915年、ビアリッツのカジノに面するヴィラに最初のクチュールハウスをオープンすることを決意します。

そして、彼女は瞬時に成功を手にします。戦争に中立の立場だった隣国スペインの王族や富裕層だけでなく、シャネルの革新的なラグジュアリーに魅了されたフランスの顧客からも、あふれるほどの注文が舞い込みました。またビアリッツは19世紀以来、ロシア貴族に愛された土地でもあり、この地に多くのヴィラを購入または建築した彼らは、ロシア皇帝の失脚後、亡命してビアリッツへと逃れてきました。そして1920年、マドモアゼル シャネルはロシア皇帝の従兄弟であるドミトリー パヴロヴィチ大公と出会います。2人はバスクの海岸沿いの様々なヴィラで共に長い時間を過ごし、その親密な関係は1922年まで続きました。1920年、マドモアゼル シャネルは自身が完璧なまでに体現していた新しいスタイルを世界に向けて発信し、エレガンスの象徴となったのです。そのモダンな感性は、研ぎすまされたシルエット、丈の短いスカートやドレスからのぞく足首、すっきりとしたラインとシンプルなデザイン、ジャージーをはじめとする柔らかい素材に表れていました。この素材を用いたジャケットとスカートのスーツをマドモアゼル シャネルが誰よりも先に身につけ、さらにスイムウェアまで作ったことからも、ジャージーがどれほど快適であったかをうかがい知ることができます。

自由と、アウトドアを楽しむライフスタイル、そしてモダンな風潮を謳歌していたマドモアゼル シャネル。髪をショートにして太陽の光を浴びる彼女のスタイルを多くの女性たちが真似る様は、20世紀を突き進んだ未来に待ち受ける深遠な変化を予言しているかのようでした。

Françoise Claire Prodhon

Photo © CHANEL - Collection Bernstein-Grüber

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SUMMER READING
"NOTRE CHANEL" BY JEAN LEBRUN

ファッションの歴史に登場する人物のなかには、彼らの外見だけでなく内面まで知ることができる人がいます――早逝したジャン パトゥの記録は、丁寧に保存され、管理され、語り継がれてきました。だからこそ、2013年にこれらの記録を調査したエマニュエル ポールは、その真髄を1冊の本にまとめることができました。

生前のパトゥとマドモアゼル シャネルは、同じ部屋にいることがお互いに耐えられない関係性だったという伝説が残されています。歴史的視点から改めて振り返れば、この伝説は正しいといえるでしょう。マドモアゼル シャネルとパトゥはまったく違うタイプの人間でした。マドモアゼルは多くの足跡を残していますが、記録として書かれたものはほとんど残っていません。新たな思い出が次々と語られていく中で、まるで彼女自身も記憶の迷路に迷いこんでいるかのようなのです。私たちはマドモアゼル シャネルについて書かれた95冊目の本を出版しようとしていますが、新しい作品が登場するたびに、彼女の人物像はいっそう曖昧なものとなり、本質を捉えるのはますます困難になっていくのです。

「Notre Chanelと題した今回のプロジェクトは、約四半世紀前にマドモアゼル シャネルの生涯を調べていた2人の男性、ベルナールとジャンにとって彼女がどのような存在だったかを物語ることで、その本質を解き明かそうと挑戦しています。2人のうち1人はその後亡くなり、もう1人は執筆を再開しましたが、新たな伝記を作り上げることのないよう努めています。ある意味、この作品はステンドグラスの窓――礼拝堂の側面のステンドグラスの窓――のようです。その中でベルナールとジャンは、寄進者たちの表情が描かれた片隅で静かに瞑想していますが、永遠に完成することのない作品を通じて2人が力を合わせるきっかけとなったもうひとつの顔には手が届きません。この窓に描かれているマドモアゼル シャネルは聖女ではなく、むしろ魔法の妖精のような存在です。早逝し、忘れられていたベルナールの上に、彼女の栄光の光が差し込み、彼の道を照らし出しています。

"Notre Chanel” (Our Chanel), Jean Lebrun, Bleu autour.

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